シンガポールのサッカー八百長事件 – その3 –


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http://www.invisible-dog.com/interview_wilson_eng.htmlより

シンガポールサッカー八百長スタイル -その3-

キング・オブ・ケロンとのインタビュー:ウィルソン・ラジ・ペルマル編

シンガポール滞在中、私達は匿名を希望する八百長シンジケートのあるメンバーと連絡を取ることが出来た。彼は私達に、フィンランドの刑務所で一年間過ごした後、ハンガリーで身柄を拘束されているウィルソン・ラジ・ペルマルが私達と話をすることに興味を持っていると言ったのだ。私達はその人物に自分達の連絡先を渡した。 ウィルソンはハンガリーの刑務所から私達と連日、通信連絡を始めたのであるが、報道側に話をする理由として、自称シェアホルダーのあるシンガポール八百長シンジケートの活動説明をしたのである。 “私はラジ・ペルマル”彼はそう書き綴った、“私は現在ハンガリーで身柄を拘束されています”。 “私とタン・シー・エン(イタリア国最重要指名手配者)が現在、‘戦争’の真っ最中だということをあなた達は恐らく存じていると思います”。 ウィルソンは八百長シンジケートのボスであり、彼の元上司でもあったタン・シー・エン(別名ダン・タン)というシンガポール人が、彼が不正パスポートでヘルシンキ旅行中にフィンランド警察に彼を逮捕させるように仕向けた人物であると述べた。そしてウィルソンはこう付け加えた:“フィンランド警察はジョセフ・イー・タンのパスポートをFIFA(国際サッカー連盟のクリス・イートン氏に渡したのです。それでイートン氏は捜査を行い、イー・タンがアナトリアでアンソニーと一緒だったことに気付いたのです。その後、イートン氏はその情報をシンガポールのリポーターであるザイハン・ユゾフに中継しました。そうやって秘密が漏れたのです”。 ジョセフ・イー・タンとアンソニー・サンテア・ラジはウィルソンの元仲間であり、ダン・タン率いる八百長シンジケートのメンバーであるとする2名である。彼らはアナトリア、トルコとブルガリア、エストニア、ラトビア、及びボリビア間で行われた国際友好試合の組織責任者であった。これらの友好試合はFIFAの捜査官クリス・イートンが行った八百長調査の対象である。ウィルソンはダン・タンがジョセフ・タンとサンテア・ラジの助けを利用し、彼をフィンランド警察に密告したと主張したのである。 “私はあなた達が私がどのような犯情で逮捕されたか存じていると確信しています”、ウィルソンはそう綴った、“ダン・タンとアンソニー・サンテアは共同で私がフィンランドで逮捕されるよう仕向けたのです。彼らはこの計画を実行するためにジョセフ・イー・タンの部局と関与したのです”。 又、彼はこう付け加えた:“私が望んでいる事はダン・タンに仕返しをするということです。私の境遇でダン・タンと同等になるために使用出来るただ一つの道具とは、メデイアに彼の犯罪行動を暴露するということ...私はこれからあなた達に語ることの全てが事実であり、大袈裟にしたり、作り話ではないということを保証します”。 私達はウィルソンに八百長シンジケートの組織構造を説明するよう、そして八百長に関わった他の個人名、及び会社の名前を挙げるよう尋ねた。

タン・シート・エン(別名ダン・タン)

“タンのことは1992年以来、名前で知っています”、彼はこう綴った、“そして、私はタンの経歴とどうやって彼がイタリアの選手達と仕事をするようになったのかに焦点を当てたいと願っています”。 “タンは1990年台初期に違法競馬、及びフットボール(サッカー)の賭博屋としてスタートしました”。 “ダン・タンはシンガポールでは元有罪人でした。1994年に彼は処刑から逃れるためにシンガポールから逃亡したのです。なぜなら彼は1994年のワールドカップ中に実行された1.5ミリオンもの賭けに対して金を支払うことが出来なかったからです”。そして彼は追加した:“彼はその後、ギャンブラー達に分割で支払うことを認め、シンガポールに戻ったのです”。 そして、ウィルソンはダン・タンが2008年にその組織の前の頭首と入れ代わったと説明した。ウィルソンはダン・タンの師匠はエスワラモーシー・ピライ(彼は彼のことをX氏と呼ぶことを希望)という名のシンガポール出身のインド人であると述べた。 “1994年のマレーシアン・カップ終了後、その組織はヨーロッパに手を伸ばし始めました”。とウィルソンは書き綴った、“ダン・タンはあなた達がEメールに挙げた人物の右腕的存在でした。私は彼のことをX氏と呼ぶことにします”。そしてウィルソンはこう続けた:“X氏は彼のヨーロピアン・パートナー達から巨額の負債を抱え、ヨーロッパから永久に立ち去りました。これはダン・タンがX氏と交代した時の事です。彼はX氏のヨーロッパ内の友人達にアプローチしてビジネスを再燃させたのです”。

(写真) エスワラモーシー・ピライ(右)

私達は独自でエスワラモーシー・ピライについて調査をし、幾つかの興味深い事実を見つける事が出来た。ピライは現在、マレーシアで彼の会社Linearによる不正会計で告訴されている。彼は又、マレーシア、ペナン拠点のスタントン・テクノロジーというグループの幹部でもある。私達は彼がアルミア・ジェジック等、他の八百長シンジケートのメンバー達が元所属していたスイスのサッカーチーム、Sion FCとChiasso FCと経済的に関連していると聞かされたのである。 その主張を確認するために私達はスイスにあるChiasso FCの事務所にクラブの誰かと話をすることを願いながら出向いた。誰もいなかったので私達は建物の中を覗いてみることにした。その時、私達は興味深い発見をしたのだ。Chiasso FCの2007/2008年度(アルミア・ゲジックがこのチームで現役時)のスポンサーのひとつがピライのペナンの会社、スタントンだったのである。彼らの会社のロゴがチームのオフィシャル写真に登場していたのだ。結局その日、私達はエスワラモーシー・ピライにウィルソンの主張とスタントン社について質問をする事は不可能だった。 次に私達はその時Chiasso FCの会長だったマルコ・グラッシに連絡して彼がピライを知っていたかどうかを聞くことに決めた。グラッシは回避的だったが、エスワラモーシー・ピライという名前の人物がChiasso FCクラブの経済的援助をオファーしてきたことを認めた。グラッシによると、ピライは実際にはクラブに資金を提供することはしなかったというが、彼のペナンの会社のロゴが明確にチームのオフィシャル写真に登場しているのだが... そういったこともあり、私達はウィルソンにX氏について更に話すよう尋ねてみた。そして彼はそうしたのである:
タンはX氏の右腕的存在であり、あなた達が名を挙げたスイスのクラブ(Chiasso FC)に投資をしていた人物なのです。この時期、シンガポール人達はマレーシア・カップの試合を八百長することにばかり集中していました。1980年代初頭には既に八百長は充満していたのです。ラジェンドラン・クルサミー(もう一人のシンガポール八百長屋だという人物で、別名パルとも呼ばれる)が登場し、全てのマレーシアン・リーグを1994年にシンガポールがその大会から遠ざかるまで仕切っていました。
ウィルソンは続けた
これはX氏が外国にベンチャーすることを決めた時期です。彼は偽りの会社を設立し、ヨーロッパのサッカー業界に関係のある人達と友好関係を築いたのです。こういった旅行時、タンは彼の帳簿係を装っていました。1995年のある会合で私はパルに自分達の賭けを成功させるためにEPL(英国プレミアリーグ)の試合中に投光照明を停電させるという提案をしたのです(アジアでは後半戦プレイ中に終了した試合にも掛け金支払いをすることを認めている)。 その時は誰も真剣に受け入れなかったのですが、1997年にX氏はこのアイデアをマレーシアのシンジケートに売却し、その計画は実行されたのです。EPLのウエストハムVSクリスタル・パレス戦とウインブルドンVSアーセナル戦で賭けに合わせた結果を生み出すために投光照明が停電したのです。 ウィルソンは投光照明詐欺について語ってたので、私達はその手順について更に細かな説明を求めた:“あなた達が投光照明事件について知らないのは以外です。”と彼は言った、“それを実行するにはスタジアムの技術者が必要だし、それに加えて照明が戻ってこないことを確実にするそれ以外のテクニックも必要になります。電源故障のように見せかけるのです。
ウィルソンは又、ダン・タンがフェネルバフチェVSバルセロナ戦の投光照明が停電した件の責任者であったと述べた。 “タンはフェネルバフチェがその試合で勝利すると賭けたのですが、得点スコアは0-4でバルセロナが前半リードしていました。もし照明が後半戦キックオフ前に停電すれば、その賭けはキャンセルになります。タンは照明を停電させましたが、スタジアムの職員達が発電機を使用して投光照明を元の状態に戻したのです、そしてこの試合は逆効果となりました。 ウィルソンはどのようにしてダン・タンがエスワラモーシー・ピライから引き継ぎを行ったかの説明へと進んだ: “X氏はカジノでハイローラーでした”、彼は書き綴った、“彼はヨーロッパの友人達に負債を抱えていて、次第にそのシーンから姿を消していったんです。この時期にタンが引き継ぎを行い、X氏の友人達を捜し始めたのです。このシンジケートはより多くの国々にベンチャーするごとに更に拡大化していきました。このビジネスではリンゴが落ちてくることを待っている事はできないのです。結果を生み出すために更に深入りしていかなくてはいけません。私の携帯電話を例に見てみるとしましょう。私は全ての関連諸国の人々に連絡することが可能です”。 ピライとChiasso FCの友好関係に関しては、ウィルソンは次のように締めくくった:“X氏は資金援助と八百長行為を彼の選んだ選手を配属して行なっていたのです”。そして、“そうです。アルミア・ゲジックはChiassoの選手でした”。

フィンランド警察のためにウィルソン・ラジ・ペルマルが描いたシンジケートの構造図

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