シンガポールのサッカー八百長事件 – その2 –


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http://www.invisible-dog.com/match_fixing_eng.htmlより

シンガポールサッカー八百長スタイル -その2-

The Lion City(ライオン・シティ)

シンガポールは世界でも有数の経済中心地であり、オフショア会社、低価格のテクノロジー開発の本拠地である。しかしフットボールの統治体であるFIFAにとってライオン・シティは“世界の八百長アカデミー”そしてケロン・キング(Kelong Kings-地元のメディアではシンジケートをそう呼んでいる)の本拠地でもあるのだ。 ケロン・キングを探し出すため、私達は地元のリポーターで八百長を専門に取り扱っているモハメッドに会った。これまでにFIFAが調査している60カ国の内、25カ国にこれまでに述べたシンガポール人達の不正行為が存在しているようだ。モハメッドの探求は2010年9月に行われたバーレーン対トーゴ・ナショナルチームの試合を彼の編集者に取り調べるよう依頼された時に開始された。 バーレーンFAはウィルソン・ラジ・ペルマルがエージェントであったフットボール4Uという会社を通じて国際友好試合を開催運営したのだが、本当のトーゴ・チーム (その時に他の場所でプレイしていた)を相手にする代わりに、ペルマルはトーゴ・ナショナルチームの元コーチに賄賂金を送ってニセの選手ライン・アップを用意させたのだ。シンジケートは恐らくその3 - 0のニセのトーゴ・チームの勝利で金を手にしたはずだ。しかし、バーレーンFAがその件をFIFAに報告した時、ウィルソン・ラジ・ペルマル(公式のFIFAエージェント許可を持っていた)は既に逃亡中だった。ペルマルはシンガポールで予備警察官を車でひいた容疑で監獄5年の有罪を宣告されており、彼は国外脱出を決めたのである。 “ペルマルは如何にもセールスマンという風貌を装っていました。彼は彼のボスのところに行き、私は八百長をするゲームを確保したが、その八百長にはX額の金が必要である、という具合に言っていたのかもしれません。ここで、あなたはこのウィルソン・ラジ・ペルマルがどれだけ重要であるかお分かりでしょう、何故なら、彼は他の人々、他のシンジケート、そして世界的な八百長行為に関わっている他のヨーロッパ・イースタン・ブロックの国々の名を挙げるからです”、モハメッドはそう語る。 次のステップはペルマルのフィンランドでの雇用人で、最初にロップスの選手たちと連絡をとったサイモン・メガダイヤモンドと呼ばれる人物を見つけることである。私達は彼の本名はメガネイサン・サブラマ二アムでタクシーの運転手であることを突き止めた。彼のシンガポールにあるセンバワンの自宅住所で、私達は彼の携帯電話番号を教えることに同意した個人、二名を見つけたのだ。私達は彼に電話をし、彼は翌日に私達と会うことに同意したのである。 私達はシンガポール空港のバジェット・ターミナル内のマクドナルドで待つようにと言われた。少し待った後、サイモンが私達に、通りの向う側にある空港駐車場へ入るようにと電話してきた。そこに行くと、一台の車が私達の横に止まり、ドアが開いた。私達は車に乗り込んで、インタビュー場所に向かったのである。 シンガポールサッカー八百長 写真) メガネイサン・サブラマ二アム(別名、サイモン・メガダイヤモンド) サイモンは背が高く、痩せ気味の髭を生やしたインド人である。ウィルソン・ラジ・ペルマルが彼を雇った時、彼らはお互いのことを10年以上知っていた。そして彼は無職であった。サイモンによると、ウィルソン・ラジ・ペルマルは彼に必要な物はコンピューターと電話だけだと言ったという。サイモンはファイスブックを通じてロップスの選手たちに連絡を取り、彼らにアジアでの契約を取り付けると約束したのである。しかし、ウィルソンとロヴァニエミに飛んでから事態が変化した。サイモンはロップスの選手たちが彼に八百長の賄賂金を求めてきたのだという。そして彼はその仕事を辞める決意をし、シンガポールに帰国したと述べた。 “ウィルソンは私が使われているとは知らせてくれなかったのです。彼はそうだと言っていますが、こうした事態が起こった時、私は彼から8000に近い金を私が紹介した選手たちの為に受け取りました、なぜなら彼は選手たちに計画したことがあったと言い、彼は使用人代として2000~2500を各ブレース(2ゴール)ごとに支払い、それで用は足りるだろうと私に言ったのです”と八百長との関わりを否定するサイモンは語る。 フィンランド法廷文書は違った筋書きを示している。サイモン・メガダイヤモンドはロップスの選手たちに、多数の八百長活動とその試合後に彼らに金を支払う行為で告発されている。サイモンはフィンランドに上陸した最初のシンガポール人八百長屋であると認識されているのだ。 そして私達はイタリア当局に組織の金の運び屋として認識されている人物を探しに行った:チョー・ベン・フアット。彼の登録仕事先は高級ショッピングモール内の美容室であった。私達がそこに到着した時、私達は彼はそこではもう働いていないと聞かされた。私達が彼の電話番号を尋ねると、彼らの考えが一変した。彼らは彼の名前は聞いたことがないと返答したのだ。 “私がチョー・ベン・フアットと話した時、私はこの人物が同人物であるかどうかが分からない、この人物はイタリアに行ったことは全くないと述べているのだ。そしてその後に、そうそう、私は姉に会いに、一度イタリアに行ったかもしれないと言うのだ、とシンガポール人の調査ジャーナリストのモハメッドはそう語る。クレモーナ裁判録ではチョー・ベン・フアットは2009年から2010年の間、少なくとも16回にわたりイタリアに飛んだと記録されているのである。 チョー・ベン・フアットはシンジケートのボス、タン・シート・エンの為に働いている。ダン・タンも又シンガポール住在である。モハメッドはこのように彼を説明している:“ヨーロピアン・フットボール熱狂者達にとって、私が思うに、彼はひとつのアジア八百長シンジケート・カルテルのボス的存在です。まあ、外見を見る限り、彼は他のシンガポール人同様にコンドミニアムに住み、合法のビジネスを持ち、一台か二台のBMWを運転するファミリーマンなのです”。 (写真) Tan Seet Eng (aka Dan Tan) タン・シート・エン(別名ダン・タン) タン・シート・エンはシンガポールの住宅地域にあるそれほど高級ではないコンドミニアムに住んでいる。幾つかのコンクリート高層ビル、水泳プール、そしてケロン・キングと称される人物の住む周囲を監視する数人のインド人のセキュリティ・ガード達がいるぐらいだ。私達はゲートに近寄り、セキュリティ・ガード達に、私達はミスター・チェン、又はケンとプールでの会合の約束をしたと告げた。彼らは私達にゲスト登録帳にサインさせ、プールで待つようにと言った。私達は素早く建物の中に入り、彼のドアを探しに行った。私達はドアベルを鳴らしたが、家には誰もいなかった。 そうして私達はそのコンドミニアムを離れ、外で数時間待つことに決めた。彼のBMW車がゲートの中に入るのを確認して、私達は再度運を試すことに決めた。私達は彼のドアに行き、ドアのベルを再び鳴らした。この時は誰かが鍵穴から私達を注意深く観察しているのが見えたが答えはない。数分するとセキュリティ・ガードが姿を表し、私達にミスター・エンは海外にいるので建物から離れるようにと言ったのだ。 そして私達はタン・シー・エンの自宅の電話番号に電話をかけてみた。電話に答えた人物は自分はダン・タンではないし、彼のことも知らないと言ったのだ。ダン・タンと話したことのある関係者によると、その声はケロン・キング、彼自身のものだったと言っている。 イタリアとハンガリー両国から二つの国際逮捕状が彼の名前で発行されているが、タン・シート・エンはシンガポールでは今でも自由の身である。地元当局は外国人犯罪人の引渡し特定にサインをしていないので、その逮捕状は行き止まり状態なのだ。 “友人達、そして海外のジャーナリスト達よ、彼らは私に理解を請う:シンガポール当局がいつ世界規模の調査等で名前が挙がっている人物達を逮捕するのだろうか?私はこちら側の当局が何もせず、話も聞かないとは考えていない。彼らはそうしているのだ。しかし、私は彼らが全ての証拠が穴の開いたものではなく、正確であることを確認するために慎重に注意を払いながら進みたいのだということを確信している”。私達はモハメッドの言葉が真実であるか待つことにしよう...
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